alone in the mountain
15の僕を連れて(富士山)
     2003/07/12〜13
     メンバー ぐり〜ん♪
     天候 曇りとか雨とか
     山域 富士山(山梨・静岡)


行程
7/12
須走口五合目→本五合目→六合目→本六合目→七合目→本七合目→八合目・江戸屋

7/13
八合目・江戸屋→本八合目→九合目→須走口頂上→御殿場口頂上→富士宮口頂上→剣ヶ峰→金明水→須走下山口→八合目→砂走→須走口五合目
画像をクリックすると大きな画像が表示されます。



 15歳の夏、僕は富士山に憧れていた。
いつか絶対に富士山に登ってやると誓っていた。

 しかし、そんな小さな夢も時とともに薄れてゆき、いつしか考えることもなくなっていた。

 だけど、あの夏の僕は確かに富士山に恋をしていた。
高校球児が甲子園に憧れるように、僕は富士山に憧れていた。

 そして今年、僕は15歳だった僕の夢を叶えることにした。



五合目から
 7/11

 くだらない仕事を終え、富士山に向かって東にバイクを走らせはじめたのは夜の9時。ひたすら東名高速を東へ走り、浜名湖・富士川と休憩をとり、東へ東へとバイクを走らせました。

 人っ子一人いない真夜中の富士あざみラインをオバケに脅えながら、ようやく須走口五合目に到着したのは深夜3時をまわった頃でした。つーか、めっちゃ怖かったですハイ。

 到着時、かなり雨が降っていたのでバイクの横にテントを張り、雨があがるのを待つことにしました。

 しかし、雨は激しくなる一方で、ついには雷まで鳴り始める始末・・・。臆病者な僕はテントの中でシュラフにくるまり、ただただ脅えるだけでした(;´д`)

 そんなこんなで、苦難の富士登山の幕開けです。



一瞬青空が
 7/12

 一晩中眠らずにバイクを走らせた疲れもあるし、天気も下り坂だし、2000mの標高ですでに酸素の薄さを体が感じ始めているしと、悪い条件がいくつも重なっていてこのまま雨が止まなければ、テキトーに富士山観光でもして家に帰ろうかなぁ・・・、なんて思ってたんだけど幸か不幸か雨は弱まりなんとか登山ができそうな天気へ・・・。

 う〜む、と悩んでみるもののここで引き返せば、富士山に憧れていた15歳の頃の僕に申し訳ないと、しぶしぶザックを背負い須走の登山口へ向かいました。

富士の緑
 今回の富士登山で、あまり楽ではないルートの須走口ルートを選んだ理由なんですが、「人の多いルートがキライ」とか「富士登山の中でもっとも緑の多いルートだから」とか、いろんな理由があるのですが一番の理由は「ツライルートほど燃え上がる」という、ちょいとアルピニストチックなカッチョイイ理由からなんですね(愛)
 しかもただ登るだけではつまらないからと60Lザックに水だの本だのいろいろ詰め込んで、日本最高峰の山でボッカトレまでしちゃう始末。

 いや〜、カッチョイイですね!
 っていうか、舐めてますね、富士山を!
 まぁ、そのしっぺ返しをこのあとしっかり受けるわけですが(;´д`)

3000m突破!
 登山口の時点ですでに空気の薄さを感じ始めていたのに、一度も斜面が緩やかになることなくひたすら上へ上へと向かうだけの登山道、標高2500mを越える頃にはすでに息も絶え絶えでした。
  階段登りや低山歩きでは息が切れることなんてないくらい、心肺機能が強くなってきていたのに、そんなものはここではまったく通用しないようです。

 ひたすら単調なのぼりをこなしていって標高3000m地点へ。
 生まれて始めての3000m地帯への到着にちょっと感動。
記念撮影をしてまた単調な登山道へ。

 っていうか、文章にするとここまで高々数行なんですが、すでに標高差1000mも登っちゃってます。

 つーか、富士山ってめっちゃ単調だから書くことがないんだよ!
登っても登っても景色は一緒だし、いつもでたっても山頂は近づいてこないし、なんだかデジャブーに遭遇したみたいに「あ、ココってさっきも歩いてない?オレ」 なんて感じで頭がおかしくなっちゃいそうだし(w

 そんなこんなで標高3300mあたりまできて、かなり息が苦しくなってきたので本日の行動はここまでにして、山小屋で泊まることに。

枕の行列
 で、皇太子殿下も泊まったという「江戸屋」という山小屋に泊まることにしました。
 まぁ、噂には聞いてたけど中に入ってビックリ。右の写真のようにひとつの布団に3つの枕がセッティングされています・・・。
 「込んできたらひとつの布団に3人で寝てね♪」という山小屋からの宣戦布告です。
 運良く本日は人が少なかったのでひとつの布団に一人が眠れましたけどね。
 しかし、人が多いときはひとつの布団に6人くらいで寝かされるそうです・・・。
引田天功のイリュージョンじゃないんだから・・・。
よい子はマネしちゃダメだよ!


 7/13

 そんなこんなで、眠りについたのですが深夜に身体に異変が・・・。

 暗闇の中、目を覚ますと頭痛と吐き気が・・・。
ようするに高度障害、ぶっちゃけ高山病・・・。
高山病は睡眠中に襲ってくるという教科書通りの蝕まれ方(;´д`)

 完全に高度順化に失敗しちゃいました・・・(;´д`)
2000m地点で酸素の薄さを感じていたのに無理して高度を1300mもあげたんだから高山病になってもあたりまえ、というかさんざん高山病について学んでいたのになにひとつ役に立てていない弱いオツムに乾杯。

 それとも、僕って極端に高所に弱い体質なんでしょうか・・・。
夢はヒマラヤ登山なのになぁ・・・(涙)

 だけど、以前クルティカ(K2やチョー・オユー南西壁などを登っている世界最強といわれる高所クライマー)が日本にやってきた時に富士山で高山病にかかり、フラフラになりながら登頂したという話もあるくらいなので、高山病になるならないなんて一概に体質とは言えないようだけどね。

 だけど、こんな高度で高山病になるなんてちょいとショックでした。

 痛い頭を抱て、トイレに入り吐き気とオエオエと戦いしました。

 時計を見ると深夜2時、もう一度布団にもぐりこんで寝てしまえばさらに高山病がひどくなることは机上で学んでいたので、今後の身の振り方は二つに一つ。

 登るか降るか。

 身体は降ることを要求していたけど、僕の心の中に住む「富士山に憧れていた15歳の僕」が今の僕に語りかけてきました。


 もう、これ以上待つのはイヤだよ。僕はずっと富士山に登りたかったんだよ!それなのに君はお金や見栄や虚像ばかり追いかけて今まで僕の夢を見ないフリをして、僕を裏切りつづけて来たじゃないか!吐き気や頭痛くらいで夢を諦めないでよ!これからもそうやってシンドイからツライからってすべてから逃げつづけていくの?
 いこうよ!あの頂へ!
 いこうよ!僕と君の夢の場所へ!

雲の上

 15歳だった僕に後押しされ、吐き気も頭痛もザックに詰め込み、深夜2時の山小屋を飛び出し僕は目指す頂に登り始めた。
 

夜明けの渋滞
 そんなこんなで、カッチョよく深夜の山頂アタックを開始したのですが、須走口ルートと河口湖ルートが合流してからの登山道はご来光目当ての登山者で大渋滞。そんな大渋滞の中を頭を抱えながらモソモソと歩く僕の姿は全然カッチョよくありませんでした。
  まぁ、それが現実ですね(;´д`)

 しかし、その渋滞のおかげでゆっくりペースで登ることができ、高山病な僕にはとてもよいペースメーカーになりました。


 「富士山なんてちょっと標高の高いハイキングみたいなもんだろ?」なんて認識をもってましたが山頂直下の登山道の光景を見て僕はその認識を変えざるをえませんでした。

 なぜなら、登山道の脇には死体の山々山・・・。
正確には死体なワケはないんだけど、5メートルおきくらいに人が倒れてるんですよ・・・。ヒザを抱えてうずくまってるとかじゃなくて、殺人現場の死体のようにうつ伏せになって倒れこんでるんですよ・・・。何人も何十人も・・・。高山病や疲労にやられてそこらじゅうに人が倒れてるんですよ・・・。こんな地獄絵図を見れる場所なんておそらく世界で富士山ただひとつでしょうね・・・。他の山じゃ考えられませんよ・・・。

 毎年のように夏の富士山は死者がでてるけど、納得しちゃいました。あれじゃ死人が出ないほうが不思議です。みんな富士山を舐めすぎだよ・・・。

一般人の山頂
 なんてことをフフフと考えながら登りつづけると鳥居をくぐり、いわゆる「山頂」と言われる場所に到着しました。

 他の人たちは、友人同士で抱き合ったりよろこびあったり、ガッツポーズで写真を撮ったりしてるんだけど、君たちにひとこと言いたいよ・・・。
「そこは山頂じゃないって・・・。ただの火口の淵だよ・・・。」
 須走口から登った「山頂」は標高3695mほどの地点です。しかし、富士山の最高地点は3776m。火口をグルっと回り込まないとその最高地点にはいけないのです。


 そんなところで喜んでる素人どもはすっこんでろ(-_-メ)
山ってのは一番尖がった所まで行って始めて登頂と言うんだコラ。
俗化された売店の前でピースサインして喜んでるガキは土産物屋でキーホルダーでも買ってさっさと下山するこった。


 なんて感じで高山病に冒された頭でイライラしながら、すごい人だかりの山頂売店前を素通りして日本最高峰の富士山剣ヶ峰へむかいました。

雪渓
 「真実の山頂」へ向かっているうちに雨が降り出し風も強くなってきました。場所によっては風に吹き飛ばされないように耐風姿勢をとって風をやり過ごさなければならないほどでした。
 しかし、その苦難が僕の心をさらに刺激し、なにがあっても登り詰めてやるとかえって闘志を燃やすことができました。

 斜度40度ちかくある馬の背を3歩進んで息を整え、5歩進んでは休憩しと高山病と戦いながら真実の山頂へ。
薄い空気の中で破れてしまいそうな心臓をかばいながら一歩ずつ目指す頂へ。そして霧の中にドームをはずされた富士山測候所の姿が・・・。



真実の山頂
 測候所の脇にある山頂に到着すると数人の先客がいた。
 彼等は「真実の山頂」ではなく、その5メートルほど脇にある「石碑」の前で写真を撮るのに必死だ。彼等にとっては山頂ではなく山頂付近にある石碑のほうが重要なのだろう。
 彼等が石碑にこだわるのは何故だろう?日本最高所でない場所にある「日本最高所」と書かれた石碑の前で写真を撮るほうが、なにもない「真実の山頂」で写真を撮るより下界で人に自慢しやすいからだろうか?

 そんな彼等の横を素通りし、僕は「真実の山頂」へ向かった。

 崖の上にある「真実の山頂」を手で触れた。
15歳の頃に夢見たその場所を足で踏むなんてことはできなかった。

「ついたよ・・・。」僕は15歳だった僕に心で語りかけた。
「ありがとう」そう答えが返ってきたような気がした。

 そして僕の心の中に、あの頃の澄んだ魂が戻ってきたような気がした。


 な〜んて、いろんなことを好き勝手に書いちゃってますが、実際には行動食もノドを通らないくらいに富士山にコテンパンやられてフラフラ状態でした。

アルピニストぐり
 しかも、右の写真みたいにポーズを決めて写真を撮ったりしちゃってますが、このあとの下山ではさらにフラフラになってしまい、おじいさんや子供たちにまで抜かれる始末(;´д`)

 下山にしろ登りにしろ人に抜かれることはあっても人を抜くようなことはありませんでした(死)

 これじゃ、趣味が「登山」だなんて胸を張って言えませんね(w

 まぁ、遅かった理由はボッカトレ用に背負った重たい荷物のせいだなんて自分を慰めてますけどね(;´д`)

 そのスタイルのせいで一端の登山家のように見られたようで、人に道を聞かれたり、現在の高度を聞かれたりすることが多かったです。

 僕もその辺の観光登山者と同じくらいの素人登山者なのにね(w



コーラで乾杯
 バイクに戻り、コーラをあけた。
ノドを潤す炭酸がすべてが終わったことを身体に教えてくれた。

 今年、僕は15歳の頃の僕の夢を叶えることができた。

 今の僕の夢を叶えてくれるのはいくつの僕なのだろう?



[ 山行記録 index へ ]

[ home ]