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古田さんのお墓は緑に囲まれた美しい場所にありました。
そこは不思議な温かさがあり、心が穏やかになれる場所でした。
その温かさに包まれていると、きっと古田さんが僕たちを迎え入れてくれたんだなと感じることが出来ました。
いつまでも、いつまでも、ここにいたいなと僕は思いました。
いつまでもこの温かさを感じていたいなと思いました。
だけど古田さんがこの大きな墓石の下で眠りについているのだと思うと、僕は悲しくなってきて、涙が流れてきて、声を出して泣いて、いつまでも涙が止まらなくなってしまいました。
そんな僕の背中を、僕の彼女は黙って見つめてくれていました。
僕は我慢なんてせずに泣きたいだけ泣きました。
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奥の院の鎖場をすぎて、表妙義の稜線にあがると爽やかな5月の風が吹いていました。
いつも見ている関西の山とはまったく違う広大な景色に僕も彼女も声を失いました。
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僕は古田学さんを師と仰いでいました。
当時、僕はクライミングの世界に憧れていました。
だけどクライミングを始めるには指導者とパートナーが必要でした。僕にはそのどちらもいませんでした。さらに僕には少し偏屈なところがあり、人から何かを学ぶことを拒んでいました。すべて独学で技術を身につけたいと思っていました。
そんな時に見つけたのが古田さんのサイトでした。
古田さんのサイトにはソロクライミングの技術が細かく書かれていました。僕は古田さんのサイトから技術を盗み、盗んだ技術を岩場で試しながらクライミングを覚えていきました。
だから、僕のクライミングはソロから始まりました。
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2003年10月に古田さんは表妙義を縦走し、サイトにその時の山行記をアップしていました。その山行記は「星穴岳のクライミングへ行きたい」と締められていました。
それから3週間後の2003年11月16日、古田さんは妙義の星穴岳へ向かいました。
そして古田さんは帰ってきませんでした。
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僕は古田さんが消えた星穴岳が見える山頂に立ちました。
初めて見る星穴岳はすべてを拒むように急峻でした。
僕は星穴岳に対して畏怖の念と同時に憎しみを感じました。
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僕にとって妙義とは恐怖の対象でした。
古田さんを奪った山に僕は激しい恐怖を覚えていました。
僕とは対照的に彼女は妙義の山を楽しんでいました。どんな難所も怯えることなく軽やかにクリアしていました。
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僕はこの表妙義の縦走で完全に山に飲まれてしまいました。
僕は自分のことをクライマーだと思っていたのに、V級にも満たないような岩場でも恐怖に震えながら鎖にしがみついて登っていました。普段の自分の実力の5%も出すことができませんでした。
そして僕は鷹戻しを登り切った所で恐怖心から過呼吸に陥り、地面に倒れこんで指先一本動かすこともできなくなりました。
僕は古田さんに助けを求めました。
「古田さん、力を貸してください。」
僕は何度もそう祈りました。
どれくらいの時間がたったのか僕の記憶は曖昧ですが、ようやく呼吸が落ち着いてきました。
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呼吸が落ち着いてきた時、すぐ近くで古田さんの声が聞こえたような気がしました。
「無理せずザイルを使え」
今までの僕は「こんなところでザイルを使ったら負けだ」と思うことがよくありました。だけど今日はためらわずにザイルを出しました。
無事に帰ることがなによりも大切なんだからと。
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古田さん
古田さんも歩いた表妙義を縦走してきました。
だけど当分星穴岳には近付けそうもありません。
今の僕の精神力では妙義の山で自分の力を出せそうにありません。
だけどいつかきっと星穴岳に向かいます。
そして、その頂を踏んで帰ってきます。
その日まで自分を高めていきます。
いつか古田さんの跡を継げるようなクライマーになってみせます。
星を継ぐその日まで、僕を見守っていてください。
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