去年の秋、僕は厳冬期の北アルプスのある山に目標をしぼり、毎日のトレーニングを重ねていました。
毎日、10kmのランニングと、プライベートウォールでの30分のボルダリングをこなしていました。体力と技術を磨き、憧れていた厳冬期のその山へ向かう資格を手に入れようと努力しました。
自信はありました。
天候さえ味方してくれれば必ず登れるだろうという、鍛え上げられた体力に裏打ちされた自信がありました。
しかし、積み重ねたものが一瞬で崩れ去りました。
いつものランニングコースで自分の体力の上昇度を測るためにタイムアタックをしていました。これまでに出したタイムを大きく上回るのは確実でした。今、思えばその時僕は自分の限界を上回るペースで走っていたのでしょう。
右脚の大腿四頭筋内側広筋の膝側の付け根に激痛が走りました。そして僕はその場に崩れ落ちました。
そしてその日から半年、僕は走ることも、山に登ることもできなくなってしまいました。 |
|
これを書いている今現在も僕はまだ走ることは出来ません。
山に行きたい気持ちでいっぱいなのに、下山時に脚にかかる衝撃が今の僕の脚には耐えられないので、まったく山に行けない日々が続いています。
それでもどうしても山に行きたくなり、姉の娘達と僕の彼女を誘って4人でノンビリとハイキングに行くことにしました。かつては30分台で登っていた山を丸一日かけてノンビリと登ることにしました。
目的地は、なにかに打ちのめされたときにいつも僕を救ってくれる二上山です。 |
|
二上山はハイキングコースですが、こんな感じでボルダリングが出来る場所もあります。
チビッコ軍団には、最高のジャングルジムです。
姉の娘達も、飽きもせず一時間近くここで遊んでいました。
僕は脚に負担をかけられないので、ボルダリングはほとんどせず写真担当に徹しました。
僕は結婚もしていませんし子供もいないのですが、僕と彼女と姉の娘の4人で遊んでいる姿は、外から見ればとてもの仲のよい家族に見えたと思います。
|
|
脚を故障するまで、僕は山に激しさを求めていました。
もちろんベテランから見れば僕の「激しさ」なんて陽だまりの散歩程度でしょうが、僕は僕の限界を求めて山へ向かっていました。
僕にとっての山とは、岩であり、雪であり、死の匂いが漂う場所でした。
そして僕はそんな山を愛していました。
だけど、この日の二上山は僕をやさしく包んでくれんました。
「こんな山もいいよなぁ。」
そう心の底から思えました。 |
|
半年振りの山はすべてが新鮮でした。
木々の緑も、透き通った空気も、湿った土の匂いも何もかもが新鮮でした。
|
|
「もうすぐ山頂だよ」とチビッコ軍団に言うと、二人は我慢できなくなり山頂に向かって走り出しました。
二人にとって始めての登山。
言葉だけでは絶対に伝えられない山の魅力を、少しでも感じてくれたら嬉しいなと思いました。
きっと今日は何かを感じてくれたでしょう。 |
|
奈良の街を見下ろしながら、うどんやマフィンを作って食べました。
僕は子供の頃から身体が強いほうではありませんでした。
そして大人になっても身体が弱いままでした。
山を始める1年ほど前が一番酷く、僕は毎週のように熱をだしていました。
今だから言えますが、山を始める前は半寝たきりの生活を送っていました。仕事などできるはずもなく、毎日を布団の上で過ごしました。
体調のよい日に少しでも体力をつけようと自宅の周りをウォーキングしてみても、15分も続けて歩くことが出来ませんでした。歩いた翌日は体中が軋み次に15分歩くためには一週間の休養が必要でした。
そんな僕がある理由で山に憧れを抱きました。
その理由はまた別の機会に書きますが、山に憧れた僕は山に登るための体力をつけようと、ゆっくりとゆっくりとトレーニングを重ねました。
15分のウォーキングが20分になり30分になり1時間になりました。
そして、数ヶ月後に僕はやっと金剛山の山頂を踏むことができました。
金剛山の次は高見山、そして大峰、次に夏の北アルプス、厳冬期の北アルプス、北アルプスでのアルパインクライミング・ソロクライミング、厳冬期のバリエーションルートとステップアップして行きました。
そして、さらにその先に向かおうとしていた僕は足の故障がきっかけであの頃の身体の弱かった僕に逆戻りしてしまいました。
脚の筋肉は落ち山に登っていた頃の面影もない細い脚になりました。
だけど、ようやく先週からウォーキングを始めることができました。
まだまだ一日30分しか歩けません。
だけどこの30分を40分にし1時間に伸ばし、そしてもう一度あの山を目指そうと思っています。
ぐり〜ん♪ |
|