風の強い暗い夜だった。
日本三大急登のひとつと数えられる甲斐駒ケ岳黒戸尾根標高1600m地点に張ったテントの中でシュラフにくるまっていた。
暗闇から声が聞こえたような気がした。
耳を澄ますと女のすすり泣くような声が風の中から聞こえてくる。
背筋に寒気が走る。
息を殺してもう一度耳を澄ます。
女のすすり泣くような声はテントから5mも離れていない場所から聞こえてくる。
「近い・・・。」と思うと同時に「ザクッ、ザクッ」という雪を踏みしめる音と共に、泣き声がテントの入り口へ向かってきた。
入り口の直前で足音と泣き声が止まった。
そして、テントの入り口のジッパーが外からゆっくりと開き始めた。
そこには涙で顔がグシャグシャになった女がいた。
僕は恐怖に声を上げることも出来なかった。
口が利けない僕の代わりにその女が口を開いた。
「便秘のカチコチウンコが詰まって、カチコチウンコの上にある下痢が出なくて死にそう(涙)」
泣き声の主は今回の同行者の僕の彼女でした(;´д`)
夜中に泣きながらテントのそばでウンコすんな、コラ!
っていうか、ウンコでリアルに泣くな。

はいはい、みなさんあけましておめでとうございます。
今回の年末年始は甲斐駒ケ岳の黒戸尾根を登ってきました。
ケガからの復帰でまだまだ登山リハビリ中の身ですが、彼女にサポートしてもらいながら日本三大急登@標高差2200mの長大な尾根に挑戦してきました。
12月30日に駒ヶ岳神社の駐車場で前夜泊し、翌日の早朝出発の予定でしたが痴話喧嘩のため出発が大幅に遅れ、大晦日は標高1600m地点までしか行けませんでした(;´д`)
一年の最終日に中途半端な登山しか出来なかったのがいかにも僕らしくてアレな感じです。
正月は、高度感がある刃渡りなどを通過し五合目小屋跡にテントを張りました。
ここはすぐ横の谷が風の通り道になっているので、一晩中ジェット機が隣を飛んでいるような風の音がしっぱなしでしたが、その轟音がいかにも冬山らしくて2年ぶりに帰ってきた厳冬期の山にちょっぴり感動でした。

これまで僕らは保温性満点のプラスチックブーツを使用していたのですが、今回からはガルモントのエピックプラスGTXという最近流行の化繊の冬用靴を導入しました。
重量は片足900gでこれまで使っていたプラブーに比べると片足400gも軽くなっています。
当然軽くなっている分保温性も損なわれているので、ちょっとでもじっとしているとすぐに足先が痛くなっていきます(;´д`)
僕は寒さに対して異常とも言えるほどの耐性があるのでこの靴でも問題はないのですが、彼女のほうは爪先が変色するほど足先が冷え、ちょっと問題ありでした。
そんなこんなだったので、山頂アタックは太陽がしっかり昇り気温が上がるのを待ち8:45の出発としました。
雪山の出発時間としては遅すぎと突っ込まれそうですが、雪の時期はわずかな明かりでも十分歩けるので下山が多少遅れてもなんとかできるとの計算です。
出発直後からいきなり屏風岩の梯子地獄の洗礼を受けるのですが、登山リハビリ中の身としては結構キツかったです(;´д`)

七丈小屋前の鎖場や小屋を越えた後の急登もヒーヒーと涙を流しながら登りました。

八合目を越えたあたりでスゲーおじさんに会いました。
なななんと足元を見ると長靴なんです。
しかもアイゼンなんて付いてないんです。
しかもしかも、この長大な厳冬期の黒戸尾根を日帰りでやっつけてるんです。
夏ならまだしも厳冬期に日帰りって・・・。
世の中には凄い人がいるもんだなぁ。

三流登山者の僕はヒーヒーと息を切らしながら山頂へ到着です。

ああ、また山行記に内容がないまま登頂しちゃいました。
しかも、今回は写真と文章がリンクしていません(;´д`)
まぁいっか。
山頂は、厳冬期というのにほとんど風もなくとても穏やかでした。
時々ガスが出てくるのですが、それもすぐに通り過ぎ美しい景色を見せてくれました。
登りは、体力不足でヒーヒーいいましたが、下りは技術不足でヒーヒーいいました。
怪我で登山から遠ざかる前から僕は三流登山者でしたが、三流なりにソロで冬季バリエーションやクラシックルートなどを登っていました。
しかし雪山に関してはブランクが2年もあいていたので、今回の山では技術不足を痛烈に感じました。
ほんのちょっとした鎖場でも怖さを感じてたんですよ(涙)
鎖場といっても黒戸尾根には難しい鎖場などまったくなく、ベテランさんならクロス二重飛びしながらでも登れるようなところなんですよ。
そんなところなのに、僕は鎖場を怖がってトホホな状態でした。
どのくらい怖かったかっていうと、通常厳冬期の3000m級の山では手袋を脱ぐことなんてまずないのですが、僕は手袋をしたまま鎖を握るのが怖かったので素手になって鎖を握りまくってたくらい怖かったんですよ(;´д`)
ちなみにその時ザックにつけた温度計は氷点下15度をさしていました。
これだけ寒いと鎖を握った瞬間に手の表面が凍って鎖にくっつくんですが、その辺は異常なまでの耐寒性を持つ僕なので、「おおお、これなら手の平に吸盤が付いているようで安心して鎖を握れるぞい」とプラス思考でイケました。
普通の人なら一分もしないうちに凍傷確定なので、よい子はマネしないようにね。
今回の登山ですが、僕にとっては技術的にも体力的にもキツイ山でした。
もう少しリハビリ&トレーニング登山をしてから挑戦するべき山だったなと思いました。
読図や気象の読みや危険予測など"頭で考える技術"は問題なかったのですが、体力や登攀技術などはまだまだ以前の状態には戻っておらずキツかったです。
今回の登山は厳冬期の日本三大急登ということもあり彼女も大変だっただろうと思い「おつかれさん。今回はしんどかったでしょ」と聞いてみたら。
「1秒もしんどいとは思わなかったよ♪」
と返事が返ってきて実力差を思い知らされました(;´д`)
追記
この年末年始ですが、僕らの当初の予定は槍ヶ岳を目指すことにしていました。
今回は山行10日前から積雪や天気図を調べ、吹雪と雪崩が怖いなということで槍ヶ岳山行を中止しました。
そして、寒気の南下下限位置と気圧配置を見て南アルプスなら3000m級でも十分に登れると踏んで出発前夜に甲斐駒ケ岳に計画を変更しました。
予測が当たり、甲斐駒ケ岳は好天に恵まれました。
当初の計画通りに行けば僕らは大晦日は槍平にいる予定でした。
そして、ご存知の方も多いと思いますが大晦日の夜、槍平を雪崩が襲い4名の方が亡くなられました。
結果的に今回は読みが当たり僕は命拾いが出来ました。
しかし、心の中は複雑です。
今回の遭難事故にほとんどのマスコミは次のようなコメントを付けていました。
「悪天候が予測されていたのになぜ危険な山に入ったのか」
今回の事故を予測できた僕が読んでもこのようなコメントには嫌悪感を感じるのです。
「下界のブタがうるせーよ!」と思ってしまうのです。
雪山やアルパインクライミングをやる人間なんてのは、誰が一番バカなのかを命がけで競い合っているような不思議な人種です。
何を言われても、バカの競争に忙しくて下界の声は届きません。
「どうしてそんな天候の日に山に行くんだ?」
「どうして一度のミスで死ぬような事をするんだ?」
「どうしてそんなルートから山頂に立とうとするんだ?」
無駄です、そんな言葉。
頭のネジが切れた人種にそんな言葉は届きません。
そもそも、物分りがいいのなら最初から山なんてやりません。
いつか僕もくだらないミスで死ぬでしょう。
きっとその時は単独で、誰にも看取られず寂しくて泣きながら、バカな自分を恨みながら死んでいくのだと思います。
だけど人から見れば犬死のように見える死でも、山の中で朽ちてウジやコケの栄養になれるのなら僕は幸せです。
なんかワケの分からない話になって来たんでこの辺でやめときます。
山を知らないマスコミが定規できっちり線を引いたような規格通りの遭難者叩きをするので、カチンと来て書いただけです。
劣悪な山を前にして、登らない人間より登ろうとするバカな人間が好きなだけなんです。
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