先に書いておく。
今、泥酔い状態でこれを書いている。
馬鹿な文章や不快な表現があっても酔っ払いの戯言だと思って適当に流してくれたら嬉しい。
もし人の心を読む能力を授かったしたら、きっとその人は苦しい人生を送らなければならないだろう。
信じていた人の心が読めてしまう恐怖を僕は味わいたくない。
僕はそんなことを考えながら三大霊山である白山を登った。
どちらかというと退屈な山だった。
危険な箇所もなく挑戦的な部分もほとんどない。
あえてあげるとすれば1500m近くの標高差を日帰りでこなすということくらいか。
それすらもこの退屈な山の退屈な課題だ。
美しい景色を見ながら、完全犯罪について考えてみた。
別に自分が完全犯罪をしたいという理由からではなく、それが可能なのかと考えてみた。
意外と簡単に複数の方法を思いついた。
悪用されると寝付きが悪くなりそうなので方法は書かないが、ヒントとしては殺すのではなく”いなくする”という事だ。衝動的にことを起こしてはならない。「悪魔のように繊細に」だ。
年間10万人の行方不明者がいる現状を考えれば完全犯罪が不可能ではないことは容易く想像できるだろう。
もちろん偶発的に完全犯罪がくずれる恐れというものは必ずある。だからその時のためのリスクヘッジは必要だ。だからと言って犯罪が発覚するのを恐れるあまりにアリバイ工作などを念入りにするなんてことは絶対にしてはならない。それは罪を重くするだけだし、アリバイ工作から足が付く事を忘れてはならない。犯罪に限らずすべての事象はシンプルにこなさなければならない。
リスクヘッジに関しては、時間を大事に使ってあることをすれば罪に問われなくなる方法がこの国にはいくつかある。
こんなことを題材に小説でも書ければなと思うが、残念ながら僕には文才がない。
退屈なこの山を登りながら、「ああ、この山は僕が登るべき山ではないな。」と何度も考えた。
もっと激しく命を削りながら山に登りたいんだと僕は強く思った。
もっとストイックにもっと厳しくもっと激しく登りたいんだと僕は思った。
脚の怪我以来、僕は僕が望むような山へ行っていない。
だけど技術も勇気も体力も三流以下になってしまった僕には、標高差1500mを日帰りで往復するだけで「挑戦」になってしまっている。
もっと山へ向かいたい。
自分の望む山を自分にやらせてあげたい。
山頂につくと、急に視界が広がった。
意外と近くに北アルプスの核心部が見えた。
槍も穂高も大キレットも見える。
仏頂面だった僕の顔は自然とほころんだ。
この景色を見て、僕はこの山を選んでよかったとようやく思えた。
北アルプスの景色を見ながら何度も思った。
「あそこでならいつ死んでもいい」
冬にあそこでのたれ死に、雪解けとともに蛆虫に食われバクテリアに分解されて大地に帰れたらなんて幸せだろうと思う。
食物連鎖の最終形態に組み込まれたい。
それがこの世に生を受けた僕の唯一の望みだ。
火葬場で燃やされて終わるのなんてゴメンだ。
僕の肉体のすべての細胞は他の動植物の犠牲の上に成り立っている。なにかを殺さなければたったひとつの細胞を維持することすら出来ない。
そうやって他の命を犠牲にしてこれまで生きてきたんだから、最後くらいは他の生命に食われ分解されたい。
それが大地のルールなんじゃないかと思う。
ああ。酒がさらに廻ってきた。
今日は飲みすぎたようだ。
酔いがさめてこの文章を読めば吐き気がするのは分かってる。
でも、この中のすべての文字は今書かなきゃならない文字なんだ。
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