alone in the mountain
女人禁制(山上ヶ岳)

   2009/1/25
   メンバー ぐり〜ん♪
   天候 曇り時々晴れ
   山域 大峰山地(奈良)

行程

1/25
大峰大橋→洞辻茶屋→鐘掛岩→山上ヶ岳→洞辻茶屋→大峰大橋




 今回は山行記はちょっと短めにして、山行記の後に今日この山で見かけた出来事について書きたいと思います。

 そんなこんなで今回も画像と文章はリンクせずに話が進みます(w



 この大峰山・山上ヶ岳は1300年続く女人禁制の山です。お隣の稲村ヶ岳は50年ほど前に女人禁制が解かれ女人大峰として多くの女性が登っています。

 ぶっちゃけ個人的には稲村ヶ岳のほうが面白い山だと思います。



 本当は稲村ヶ岳に行きたかったんです・・・。

 だけど朝5時に目覚ましをセットしていたのに、目が覚めると9時をとっくにまわっていたんです(;´д`)

 時間的に稲村は無理だということになり、地図を開いてどこか昼からでも登れそうな山はないかなぁと探していたら、山上ヶ岳が手頃そうな感じがしたのでビュビューンと車を走らせて登ることにしました。

 ただ、手頃と言っても雪山なので、雪の状態しだいでは登頂が無理なのは覚悟の上での出発です。





 結局登り始めはお昼になってしまい、夏のコースタイム以内で進めなければ下山は確実に暗闇の中になってしまいます。

 登山の基本は早朝出発昼過ぎ下山です。

 特に遭難リスクの高い単独行者ほどその基本を守らなければならないと言われています。

 だけど、二度寝王子とも呼ばれる僕ですから、早朝出発が成功するのは山行5回に1回くらいです(;´д`)

 暗闇の中の下山もしばしばです。

 ただ日帰りの時ほど、ビバーク装備や夜間行動用の装備を充実させているので暗くなってもあまり不安を感じたことはありません。それに夜の登山道をモソモソと歩くのもそれはそれで結構楽しい事だと感じています。

 満月の夜なんかは樹林帯じゃなければヘッドランプなんてなくても歩けたりするんですよ。それによく晴れた満月の夜は涙がこぼれそうになるくらい景色が美しく幻想的なんです。

 でも、昼間に歩くより確実に危険が増すのでオススメはしません(建前)



 今回からカメラを変えました。

 CANONのG10というカメラで、国産コンパクトカメラの中では最高峰と言っていいカメラです。マニュアル露出やRAW形式での記録、外部ストロボも使用可能で、一眼レフを除けばこれ以上のカメラは望めないといっていいと思います。

 なのに。。。

 僕のようにセンスのない人間がどれだけいいカメラを持っても、やっぱりスナップ写真の域を出ません(;´д`)

 今回は昼から登ったので写真なんて撮ってる暇はないのに頑張って350枚も写真を撮ったんですよ。

 その中から選んだ渾身の8枚が今日の山行記の写真なんです。
ってことは残りの342枚がどれだけヒドイか(;´д`)

 もっと空気感や光を表現できるようになりたいなぁ。。。


 そんなこんなで、他の登山者が付けてくれていたトレースに助けられ、パシャパシャと写真を撮りながらも夏のコースタイム並みに歩くことが出来ました。

 どこの誰だかわかりませんがトレースを付けてくれた方ありがとうございました。

甲斐駒


 大峰山寺の直前で5,6人のパーティーとすれ違いました。

 あとでこのパーティーについてちょっと書きたいのですが、今は気持ちよく山行記を書いているのでとりあえずここではすっ飛ばします。



北岳


 すっ飛ばしついでにもっとすっ飛ばしてビュビューンと登頂し、ババーンと下山して無事明るい時間帯に下山することが出来ました。

 やっぱ俺の山行記は最速だな(w



オベリスク

 


 えっと、ここからちょっとまじめに書きます。

 マジ文書ウゼェーと思った人は以下の文章はすっ飛ばしてください。


 今回、女人禁制の山上ヶ岳に登ってきたわけですが、この山行中に5,6人のパーティーとすれ違いました。

 その中に2名の中高年の女性がいました。


 僕の意見を述べる前に僕自身の事を書きたいと思います。

 僕は神も仏も信じていません。
だけど、一人で山にいると何か大きな力があると感じることはあります。しかし、その力は祈っても人を救うことはないし、唾を吐いても天罰を与えるような存在ではないと思っています。ようするにその力には「意思」というものがないと思っています。きっとそれは神や仏ではなく物理学の法則に近いものなんだと思います。僕が感じている何かはきっと100年後や500年後に物理学者や数学者が解ける類のものなんだと思っています。

 ようするに神や仏の存在は信じていません。

 だからといって登山道の脇にあるお地蔵さんにピッケルを立てかけたりはしないし、お堂の上をアイゼンで歩いたりもしません。

 僕の宗教感はその程度のものです。


 ただ、他人がどんな宗教を信じようと僕はそれを否定するつもりはありません。

 たとえこの世の中に神や仏がいないことが真理であったとしても、その存在を強く信じる人の心の中には神や仏が存在しうるものだと思うからです。強く信じていればそれが本当に存在するかどうかは問題ではないのだろうと思っています。

 

 この山を登りながらも女人禁制の事などまったく頭にありませんでした。その女性を含むパーティーとすれ違ったときも女人禁制の事など思い出しもせず普通に挨拶をしました。

 しかし、そのパーティーとすれ違った瞬間の何かを隠そうとするしぐさに違和感を感じ、しばらくたってから「あ、この山って女人禁制だった。」 と思い出しました。

 正直言って宗教も伝統も女人禁制も僕にはどうでもいいことです。


 だけど、忘れてはならないのは、それを信じて1300年間守ってきた人たちがいるということです。今も自分達の信じるものを守ろうとする人たちがいるということです。

 その人たちの大切なものを、趣味なんかのために踏みにじっちゃいけない。


 「男女平等」、僕もそうあるべきだと思います。

 僕は男尊女卑の男の顔がマヌケ面に見えます。同じように口うるさいフェミニストもバカにしか見えません。男だろうが女だろうが素晴らしい人は素晴らしいし、くだらない人間はくだらないと感じるだけです。

 平等は確かに理想です。だけど残念ながらこの世の中は平等ではありません。世の中はそんなに甘くない。男も女も、子供も大人も、金持ちも貧乏人も、すべての人が不平等の中で生きています。

 それは受け入れなければならない事実です。


 そんな誰にでもある不平等を武器にして、人の心を征服しようとしてはいけないと思うのです。意見や主義主張を述べることは大切なことだけど、実力行使からは歪みしか生まれないのです。

 むしろ僕らは不平等だからこそ、それを克服するために学び成長していけるのではないでしょうか。


 こんな場末のサイトに書いたって仕方がないことだけど、今日は書かずにいられませんでした。


 誰かの大切なものを理解してあげてください。

 そして、あなたの大切なものを守っていってください。






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