これはちょっぴり不思議なお話である。
「おい、一緒に登ろうや」
聞きなれない声にびっくりした僕は、その変な生き物と目が合い眼球が飛び出るかと思うくらいの衝撃を受けた。
「のっけからベストセラー本のパクリっぽくて悪いな」
「オマエ、誰?」
「だれやあれへんがな。ひこにゃんやがな」
「ひこにゃん!?」
「自分ひこにゃん知らんのかいな。話にならへんな。地元滋賀のTV局なんかワシのこといつも追いかけ回しとんねんで。ワシがバレンタインのチョコ何個もらったとかまでニュースにしよるからなアイツラ。ホンマかなわんで。」
「はぁ」
「まあええわ、今日は自分に山のこと教えたるわ」
「いやあの、僕は一人で麓から頂上までラッセルをしたいからこの杣添尾根に来たんです。だから一人で登ります。」
「ホンマ話が分からんヤツやな、まあええわ。歩きながら話そか」
僕は何がなんだか分からないままこの変なネコと一緒に山に登ることになった。
「あの、ひとつ聞いていいですか?」
「ええで、なんでも聞きや。山のことなんでも教えたる」
「その緑のヒモはなんですか?」
「ヒモって!ビビルわその発想。これザイルやがな。雪山やで。基本、要ザイルやがな」
「自分なぁ。雪山なめてへんか?」
「そんなことないですよ・・・。」
「自分の実力で杣添尾根を一人ラッセルって背伸びしすぎやで」
「はぁ」
「こんなこと言いたないけど、自分、三流やで。今日と明日はワシが一緒に登っていろいろ教えたるからせめて三流プラスくらいになって帰りや。ほんま三流なヤツほど背伸びしたがるからかなわんわ」
「あの、やっぱり一人で登らせてもらえませんか?」
「なんでや」
「小っさすぎて誤って踏み殺しそうです。っていうか今すぐ踏み殺しそうです」
「うそうそ、三流言うたんは冗談やがな。踏むなや絶対。」
「ええ、踏むのやめときます。約束はできませんが」
「あのな、自分一人で登るのが好きやろ?」
「ええ、山はやっぱり一人がいいです。一人じゃないと”登った”って感じがしないんです。人の後ろを歩くだけじゃ自分の力で登ったと思えないし、誰かが後ろを歩いていたら山に集中できないんです。」
「まあそれはそれでええと思うねん。一人で登りたかったら一人で登ったらええねん」
「ええ。」
「でもな、一人で登るのならやっぱりそれなりの実力をつけなあかんねん。自分、山野井君って知ってる?」
「もちろん知ってますよ。ソロクライマーの山野井さんでしょ」
「そうそう、あの子も基本ワシが教えたようなもんやねんけど、あの子も最初は独学でクライミングしててん。でもなケガが絶えへんかったから見てられへんようになってワシがいろいろアドバイスをして山岳会に入るように薦めてん。あの子も最後は折れて山岳会に入ったんや。そこで基本を身に付けたから今の山野井泰史がおるんやで」
「山野井さんと知り合いなんですか?」
「まぁな、著名な登山家の9割はワシが育てたようなもんやねんで」
「嘘でしょ?」
「ジョージ・マロリー君とエベレストの山頂で写真の撮りあいしたのとかいい思い出やで」
「嘘でしょ?」
「トモ・チェセン君とローツェ南壁も行ったけどワシがおったから厳密に言えばあれは単独とちゃうな」
「全部嘘でしょ?」
「嘘やな」
「殺す」
「今日はここにテント張ったらええわ。ここやったら雪崩の心配もあらへんしな。樹林帯やけど明るいしいい感じやで。ほな頑張って整地しや」
「ひこにゃんはどうするんですか?」
「ワシ、雪洞掘るわ」
「自分も一緒に雪洞で寝るか」
「絶対無理っぽいからいいです」
「っていうか一緒にテントで寝ませんか?」
「うーん、せっかく雪洞掘ったけど”そこまで”言われたら断る理由もあれへんしな。」
「別に”そこまで”は誘ってないですけど」
「自分なぁ、独学ソロとかってのにこだわるのはええけど、そのこだわりのせいで、自分の可能性をつぶしてへんか?」
「そんなことはない・・・。と思いたいです」
「言い方を変えようか?”こだわり”って言葉に甘えてへんか?」
「ギクッ」
「あのな、自分が本気だせばもっといろんな山できると思うで。なのに”こだわり”っていう言葉にどっぷりつかって自分の可能性を殺してるやろ」
「確かに否定はできないです・・・。」
「あとな、最近の自分を見てて思うねんけど。今、山が怖いやろ」
「げ。なんでそんなことを知ってるんですか?」
「なんでって、ワシを誰やと思とんねん。ワシ、ひこにゃんやで」
「それ、意味が分かりません」
「最近山が怖い理由は自分でわかってるやんな?」
「技術トレーニングをしてないからです・・・。」
「せやな。去年の6月からまったくクライミングしてへんもんな」
「なんでそんなことまで・・・」
「なんでって、ワシ、ひこにゃんやからなぁ」
「それ、意味が分かりません」
「クライミングをしなくなった理由を当てたろか?」
「当てなくていいです。全然当てなくていいです。まったく必要ないです。」
「去年別れた彼女の浮気相手がそれなりに知れたフリークライマーやったからやんな(笑)」
「・・・。」
「それでクライミングがトラウマになってホールド見るだけでも気がめいってたもんな。ウケルわーマジで。自分、小モノすぎやで(笑)それで山が怖いって馬鹿すぎ(笑)」
「殺す・・・。」
「うわやめー!マジ死ぬがな!ザイルで首絞めるなや。うぐぅぅぅぅ」
「おやすみ、ひこにゃん・・・。」
そして夜が更け、そして夜が明けました。
「ほな行こか」
「ええ、今日は頂上を目指しましょう」
「ひこにゃんってラッセルが速いんですね」
「まあな、ワシひこにゃんやし」
「意味分かんないです。っていうか富士山が見えてますね!ちょっと写真撮ります。」
「おう、撮れ撮れ」
「あの、言いにくいんですが、邪魔です、スゴク。」
「あのな、成功ってのは絶対値で測るもんやないねんで。」
「絶対値?」
「そうや世間から見てどのくらい成功したとか、他人から見てこのくらいのレベルの成功をおさめたとかって測るもんやないねん。」
「ええ」
「成功したかどうかは自分自身の満足度なんや。100億稼いだってお金が足りない足りないと嘆く資産家がいると思えば、マラソンで4時間切って走るだけで涙を流して喜ぶ人もおるんや」
「なんとなく分かるような気がします」
「自分、ヒマラヤに行きたいんやろ?」
「なんで知ってるんですか?」
「なんでって、ワシひこにゃんやで。」
「それ、もういいです。」
「ヒマラヤに行けますかね、僕」
「行けるかどうかは自分しだいやな。」
「ヒマラヤへ行くこと自体はなんとでもなると思ってるんですが、帰ってきてからの生活が不安なんです。行くとしたら仕事は辞めて行かなきゃならないし、帰ってきてからちゃんと食べて行けるんだろうかって・・・。」
「あのな、自分が今いる日本で一年間にどれだけのお金が動いているか想像付くか?」
「全然わかりません・・・。」
「指標はいろいろあんねんけど、例えばGDPで考えたら500兆円のお金が頭上を飛び交ってんねん。」
「500兆円ですか!」
「そや、500兆円や。こんだけのお金が頭上を飛び交ってんねんから、ちょっと背伸びして手を伸ばせば現金鷲掴みみたいなもんやで、食うにも困らんし好きな時に山に行くくらいのお金なんか簡単に手に入るわ。」
「マジっすか」
「時間の切り売りで会社からお金を貰うような生き方をやめて、ほんのちょっと勇気を出して立ち上がればちょろいで」
「なんかちょっと勇気がでてきました」
「せやな。だからお金の心配なんかいらんから。思いっきり夢に突き進んだらええねん。」
「はい」
「せやから今は登山の技術を身に付けなあかんよな」
「頑張ります!」
「ええ顔やな。ほな行くで。」
「ひこにゃん、その先は雪庇ですよ」
「わかっとる。ちゃんとビレイしとけや」
「ちょっちょっちょ!なんで雪庇の先に向かって歩いていくんですか!危ないですよ!」
「自分、今、叶わぬ恋をしてるやろ」
「ギクッ」
「ワシ、ひこにゃんやから何でも分かんねん」
「そうだと思いました」
「ワシがカラダを張って今の自分の恋の状況を再現したるからよう見ときや。」
「はい」
「ビレイはOKか?」
「ビレイOKです。」
「ほな頼むで。」
「?」
「行くで」
「うわ!ひこにゃん!落ちた!」
「自分がビレイしてくれてるから大丈夫や。」
「っていうか、これが僕の恋の再現って意味が分かりません。」
「こうやってワシが身体を張って自分に伝えようとしていることの意味がいつか分かる日が来るで。雪庇の踏み抜きには気ぃ付けや」
「ひこにゃん・・・。」
「うん。分かればいいんや」
「あの、意味はまったく分からないのですが。それよりも」
「それよりって、なんやねん」
「ザイルがすっぽ抜けそうです。」
「ちょ!おま!マジかよ!」
「もう無理です。」
「わざとやろ!わざとザイルをはなしたやろ!普通の人間なら死んでるで!」
「( ̄ー+ ̄)」
「雪庇と言うたら前に悲しい事故があったなぁ」
「事故?」
「もうずいぶん前になってもうたけど、文部科学省がやってた大学山岳部リーダー冬山研修で雪庇の崩落事故があったんや」
「どんな事故だったんですか?」
「大日岳で起こった事故やねんけど、そん時は長さ40m以上の雪庇ができてたんや」
「40m!?そんなに巨大な雪庇ができるんですか?」
「普通じゃ考えられへんサイズやな。」
「僕も見たことがありません」
「ほんで、そんなデカイ雪庇があるなんて誰も思ってへんから、なんも知らんと雪庇の上で休憩してもうてん。」
「そして雪庇が崩落・・・。」
「そうや。11人が落ちてそのうちの2人が亡くなってもうたんや。」
「・・・。」
「文部科学省がやってた講習会やし、その後は裁判で泥沼状態になってもうたんやな。」
「・・・。」
「でもな、死んだもんからしたら裁判なんてどうでもええねん。裁判で勝ったって生き返るとかできへんからな。」
「・・・。」
「自然が牙を剥くとかってないねん。重たいから崩れるだけ、斜めやから雪崩れるだけ、気圧にズレがあるから吹雪くだけ。たったそれだけで人間なんかイチコロやねん。」
「・・・。」
「自分の身は自分で守るしかないんやで。パーティーで山に行ったからってベテランの人が自分の命を絶対に守ってくれるとかないねん。自分も無理はすんなや」
「はい・・・。」
「振り返ってみ」
「自分が作った道やで」
「僕が作った道」
「そうや。誰かが作った道やなくて自分が作った道や」
「雪山の怖さも知らなあかんけど、雪山にしかない感動も持って帰るんやで」
「はい」
「もうすぐ頂上やな。最後は急斜面やから気ぃ付けや」
「登頂おめでとうやな」
「ありがとうございます!無事登れました!最初から最後まで自分でラッセルして道を切り開いて登ったから感動も普段の倍です!」
「よかったな」
「本当にありがとうございます!」
「向こうに見えるのは阿弥陀岳やな。あっこの南稜を単独で登った頃の自分は輝いとったで、失恋のトラウマかなんか知らんけどもう一回クライミングをやってみたらどうや」
「・・・。」
「まあ、あとは自分で考えや」
「・・・。もう一度高みを目指してみます。」
「そか、んじゃ頑張りや」
「はい!」
「できたら山岳会に入って基礎を身に付けるんやで」
「今年の秋に考えている目標の山までは独学で登りたいんです」
「まぁ、自分、言っても聞かんしな(笑)」
「すみません」
「死ぬなや。生きて帰ってきて、そこからまたさらに上を目指しや。そん時はちゃんと山岳会に入って先輩に教えを請うんやで。小さなこだわりで自分の可能性をつぶしたらあかんで。」
「はい。約束します。」
「そろそろお別れやな」
「寂しくなります」
「最後に今日の自分の写真撮ったるわ。記念やな」
「まぁ、そんなに落ち込まんとな。さよならは別れの言葉とちゃうで」
「またいつか会えますか?」
「もう会えないといいたいところやけど、彦根城に来てくれたらいつでもおるで。土日はお客さん喜ばさなあかんから忙しいけど平日やったらお茶とかいつでも行けるで。できたら夕方のほうが助かるけどな」
「普通、こういうのって今生の別れでお涙頂戴じゃないんですか?」
「ワシ、今はただの有給休暇中やしな」
「最後の最後に別れの感動を薄めてくれてありがとうございます」
「お礼なら現金でええよ」
「じゃあまた」
「ほんじゃまた」
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