今回の山行で燕岳を選んだ理由は
「今週なら絶対トレースはないだろう」って理由でした。
今週まで中房温泉への道路が冬季通行止めなため、通常の賢い頭脳を持った登山者なら予定を来週に組むはずです。
しかも、山小屋も営業してないからセレブな登山者は登らないし、小屋番の方々の入山が翌週なのもチェック済みです。
そして狙い通りトレースはなく登山開始から下山まで人間を見ることはありませんでした♪
宮城ゲートから中房温泉までの5時間弱の舗装路歩きの時間短縮のために折りたたみ自転車を購入しました。
前半は気持ちよくペダルを回せたのですが、後半に近付くと坂が少しずつ急になり
後半はほとんど自転車を押してました(;´д`)
それでも通常5時間弱かかるところを2時間半で移動できました。
ただ厳冬期なみの装備を背負い冬靴で自転車を漕ぐという行為は、拷問以外のなにものでもありませんでした。
中房温泉に到着したときにはまだ一歩も山に踏み込んでないのに、すでにやりきった感がありました。
つーか、背筋が死にました。
この日は人間が一人もいない中房温泉で露天風呂に入ったり、誰もいないはずなのに一晩中何かに反応して点いたり消えたりするセンサーライトにビビッたりしながら、テントの中で爆睡しました。
そして翌朝6:30にテントをたたみ北アルプス三大急登の合戦尾根へ突撃です。
第一ベンチまでは快適に歩けました。
第一ベンチ以降は、10歩に1回のペースで現れる踏み抜き地獄の始まりです。
テクテクテク、ズボッ!ってな感じで股まで埋まります。
踏み抜きがない時は踝からスネくらいまでのツボ足で歩けるのですが、この時期の水分をたっぷり含んだ雪はとても重く、ジャブのようにジワジワと僕の体力を奪っていきます。
ジャブで体力を奪いつつ、踏み抜きパンチでノックダウンを狙ってくるとは燕岳もなかなかの名ボクサーです。
踏み抜きにやっつけられながら、なんとかベンチとかいうのをいくつか超えて合戦の頭に到着です。
って、さらっと書いてますが合戦の頭まで7時間かかってます。
踏み抜き地獄、極悪すぎです。
夏なら、2時間台で行ける場所です。
あまりの踏み抜き多発に嫌気が差しワカンを装着したのですが、股まで潜るのが太ももまで潜るに変わる程度で、しんどいのには変わりありません。
しかも、どんなメカニズムなのか分かりませんが落とし穴から足が抜けなくなるアレになった場合、ワカンを履いていると自分の足を掘り出すのも大変です。
10歩に1回の踏み抜きに疲れ、槍ヶ岳とか見えてももうどうでもよかったです。(ホントはウオーとかって声を出して喜んでたけど)
そんなふうに、ボロボロになりながら登っていくのですが、下の写真のようなトレースのない雪稜を見ると元気が出ます(でません)
ラッセル天国にワクワク感もピークに達します。
もちろん疲れはすでにピークを超えています。
あのテクテク、ズボッ!の苦行を思い出すとなんだか文章を書くのもイヤになってきます(;´д`)
写真だけ見ると綺麗なんだけど、このへんの写真を撮ってる時なんてすでにヘロヘロでした。
ちなみに下の写真の太陽は朝日じゃなく夕日です。
正直、装備を全部背負ってはこれ以上歩けないと思ったので、合戦尾根の2600m地点にテントを張り、最低限の装備だけ持って山頂へ向かうことにしました。
この時点で出発から9時間半の16:00です。
残された体力とこの雪質では、明るいうちに帰ってくる自信なんてまったくありませんでしたが、今日登らなければ明日は絶対気力が残ってないと思い強引にアタック開始です。
少し登ってから振り返ると自分が残したトレースとちっぽけなテントと遠くに安曇野の街が見えちょっぴり感動です。といいたいところですがヘロヘロで感動ゼロです。
好き好んでやってるけど一人ラッセルはマジでキツイって!
表銀座の稜線に上がり燕岳の山頂が見えても本気で体力が残ってないので
「登頂とかマジでどうでもいいからテントに帰って横になりたい・・・。」
という思いしかありませんでした。
だけど、帰ろう帰ろうという思いとは裏腹に、身体が勝手に山頂に向かって歩いて行きます。
4月だからいいものの、厳冬期なら確実に死んでる判断です。
っていうか、「4月だからいいものの」って発言、春の北アルプスを舐めすぎです。
稜線は強い風に雪が飛ばされて歩きやすいのですが、時々膝上のラッセルとかさせられて燕岳、オレを殺る気満々です。
そんな僕に微笑まない燕岳ですが、イルカとか槍ヶ岳とかに元気付けられながら登り続けます。
ここから下はマジメに書いたから、マジメな文章を読んでるんだ!って気持ち100%で読んでね。気持ちを変えやすいように改行をたっぷりいれておくからよろしく。
「とにかく山頂まで」と身体を引きずるように登って行きました。
止まって休憩したいけど一度止まると立ち上がれなくなるような気がして休まずにひたすら登り続けました。3秒に1歩のペースでゆっくりとゆっくりと登り続けました。
本気で「山頂に着いたら気が抜けて絶命する」んじゃないかと思いました。
体力の低下と共に3秒に1歩が4秒に1歩になり、5秒に1歩になりました。
それでも取り憑かれたように上へ上へ上へ。
諦めと意地と、苦痛と快感が入り乱れたまま登り続けました。
そして出発から11時間10分 17:39 登頂。
そして、この登山の目的の場所へ。
この岩を自分の眼球で直接見たくてこの山を選びました。
太陽が沈んでしまうと、少しずつ大地と空の境界線がなくなっていきました。
普段から暗闇の山を歩くことが多いので、闇が迫っても恐怖感はありませんでした。
テントまでは自分のトレースをたどって行けば帰ることができます。
だけど、本当にもう体力が残ってなくて、さっきまでは「なんとか山頂まで」という思いで歩いていたのが、「生きて帰ろう」という思いに変わっていました。
雪稜の先に自分のテントが見えました。
そしてその先に安曇野の夜景が見えました。
さっきまで休んでしまうと、「もう立ち上がれなくなるんじゃないか」って恐怖感があったけど、そんな恐怖はどうでもよくなって、僕は雪の上に座り込みその美しい景色をただただ見続けました。
雪と闇と星に包まれ、そして幸福感にも包まれた時間がゆっくりゆっくりと流れました。
出発から12時間30分 19:02行動終了 休憩は10分休憩を4回
そして翌日。
ラッセルと踏み抜きに苦しみながら3時間かかった合戦小屋から幕営地までの距離を、雪の締まった翌朝に歩くとたったの30分で到着しました。
だけど、同じルートでも30分で登れる時よりも、3時間かけないと登れない時の山の方が好きなのです。
人はこんな登山を無謀だと非難するかもしれないけど、僕はこんな山しかできないのです。
僕はこれでいいんだ。

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