ヒマラヤ単独デビュー(メラピーク)
2009/10/18〜11/25
メンバー ぐり〜ん
天候 晴とか曇とかサイクロンとか
山域 ヒマラヤ(ネパール・マカルー)
いつも一人ぼっちで山を歩いていました。
僕は7年前に一人で山を始め、独学でクライミングや雪山に挑戦してきました。
そして、その独学単独登山の集大成として一人でヒマラヤへ挑戦することにしました。
独学・単独・初ヒマラヤというだけで無謀さ満点ですが、おまけに海外旅行も生まれて初めてという無謀な40日でした。
メラピーク登山前に高度順化のために行ったカラパタールまでの単独トレッキングの話はすっとばします。
カラパタールまでの旅も、出会いあり別れありの楽しい旅だったので、その時のことは別の記録としてまとめたいと思います。
とりあえずチラッと写真だけ。
そんなこんなで、メラピークの山行記の始まりですが約一週間のキャラバンの話もすっとばします。
ちなみに下の写真の左端が今回のガイドさん。
普段はトレッキングツアー等のコックをしていて、ガイドの仕事はしたことがないそうです(;´д`)
右端はポーターさん。
パッと見は力がなさそうですが、さすがヒマラヤンポーター、30kgくらい平気で担ぎます。
二人の女性はツーリカルカのバッティ(茶屋)のビッグママと次期ビッグママです。
ヒマラヤ登山は単独で登る場合でも必ずベースキャンプまでガイドを連れて行かなければなりません。
そこで、カトマンズのエージェントと打ち合わせの時に、「登山中のことは全部自分でしますのでガイドはどんな人でも構いません。ついて来るだけで何もしなくていいです。」と言ったら、本当に「なにもしない人」が派遣されてきました・・・。
何もしないだけならまだよかったのですが、このガイドはなんだかんだと僕を騙してきてロクデナシ全開でした(;´д`)
そんな人だったので、キャラバン中は腹が立つことが多く、彼といることは苦痛以外の何物でもなかったです。
でも、登山が終わってカトマンズで再会した時にようやく彼のいい面が見え友達になれました(遅)
上の写真がメラピークとの初対面。
ちなみに正面やや左の壁が山野井泰史さんが初登攀したルートです。
これまで山野井さんしか登ったことがない壁だったのですが、今年、オーストリア隊が山野井さん以来の再登を果たしたそうです。地元でも「これまでジャパニーズが一人で登っただけで誰も登れない壁だった」と話題になっていました。
って、山行記が全然進みませんね。
キャラバンすっとばしてBC入りします。
はい、すっとばしてBC入りしました。
カーレBC(4890m)到着です。
僕が登った11月はネパールでは乾季にあたり、基本的に雨どころか曇り空すら珍しい季節にあたります。
しかし、そこは雨男な僕。
サイクロンを呼び寄せてしまいご覧のような悪天候に(;´д`)
そんな悪天候でしたので、アタックしていたスウェーデン隊とフランス隊は登頂を諦め下山してきました。
話を聞くと吹雪で前に進めなかったそうで、再アタックはせず山を降りるということでした。
どうでもいい情報ですが、話を聞かせてくれたスウェーデン隊の女子、めちゃめちゃ可愛かったです。
ホント、どうでもいい情報ですね。
そんなこんなで、高度順化をかねてBCで一日休養し、天候回復を待ちました。
おかげでこんな好天に(愛)
そんなこんなで、10時にガイドとポーターさんをBCに残し、一人ぼっちでモソモソとBCを出発しました。
氷河末端のガレ場を登っていると見慣れた顔が見えました。
キャラバン中、コーテという村で友達になったフォルカとダワです。
フォルカはドイツ人。
ダワはシェルパ族です。
さかのぼること数日前、コーテの村で晩ゴハンを食べていたら隣の席にフォルカとダワがやってきました。
ダワは一目見た瞬間に並みの山屋じゃないオーラが出ていました。
僕について来た「なにもしないガイド」は面白いくらい山の事をまったく知らず、当然メラピークの情報など何ひとつ持っていませんでした。
そこで僕は隣に座った山屋オーラ出まくりのダワをつかまえて、拙い英語で質問しまくりました。
やはりダワは並みの山屋ではありませんでした。
この季節のクレバスの状況、僕が考えているタクティクス、ここ数年のメラピークの状況、天候が崩れる時間帯。ダワは嫌な顔ひとつせず簡単な英語で答えてくれました。
フォルカとダワはおしゃべり好きでノンビリ歩くため、先に行かせてもらいました。
でも、喋りながらゆっくり歩くのは高山病対策にもとてもいいんですよ。
氷河に上がってからはクレバスがあちこちにありました。
単独で氷河を歩くのは地雷原をスキップしながら歩くようなもんで、雪で落とし穴が見えなくなった隠れクレバス(ヒドゥンクレバス)に落ちる可能性が非常に高く、落ちてしまえばサヨウナラ的なある程度の諦めの精神が必要でした。
メララ(5350m)の直前でフォルカ&ダワ隊と再会しました。
メララへは急な降りがあるのですが、アイゼンやピッケルを持たない貧弱装備のポーター達にはちょっと危険な場所でもあります。
フォルカは6人のポーターとコック、そしてガイドのダワを連れているのですがポーターの6人がアイゼンを持っていませんでした。
凍った斜面を恐る恐る降るポーター達を見ていると、ちょっと危なそうな感じがしたので、メララへの降りを手伝ってあげました。
そのお礼でフォルカ&ダワ隊にゴハンをご馳走になりました(愛)
フォルカ隊はサポート人数が多いだけに食事がめちゃめちゃ豪華です。
瓶詰めのジャムや調味料、食前食後はミルクティー。食事はナイフとフォーク。ドイツ人だけにソーセージまで持ってきていました。
フォルカは「まるで家みたいだろ!」と笑いながら話してくれました。
それに引き換え、僕はフリーズドライの食料とネパールのインスタントラーメン・・・。
逆に、ポーターもガイドも連れずに登る僕にフォルカは驚いていました。
「ケン(僕の本名)の登山は”挑戦”だけど、僕のは”バカンス”だからね。ヒマラヤを思いっきり楽しまないと!」と笑い飛ばしてくれました。
ちなみにフォルカは3ヶ月バカンスがあるそうです・・・(羨)
翌朝も風は強いものの天候は晴。
フォルカ隊を見送り、僕はモソモソと10時頃メララを出発しました。
ハイキャンプ(5800m)はメララからすぐそばに見えてるくらい近いのに、下界の半分以下の酸素濃度の中で冬山装備を一人で背負って登るのはハンパなくしんどかったです(;´д`)
ハイキャンプは5800mの場所にあるんだけど、そこだけ雪がありませんでした。
でも、雪がない=風が強いとも言えるワケで、時々強烈な風が吹いていました。
僕は元々高所に弱く、日本の山では2500mを超えるとほぼ100%高山病に悩まされます。なんせ高山病で笠ヶ岳(2897m)に登れなかった過去を持つ男です(;´д`)
そんな高山病体質を考えて今回はメラピークに挑戦する前に、前もってカラパタール(5630m)に登り高所順応をしてきました。
そんな努力もあって、メララ(5350m)までは高山病にはならなかったのですが、ハイキャンプではしっかりと高山病にかかってしまいました。
収まらない吐き気、割れそうなほどの頭痛。
これまでに経験したどの高山病よりも辛く苦しかったです。
痛み止めと吐き気止めを飲み、腹式呼吸をしまくりながら症状をごまかしました。
そんなに苦しかったのにいつのまにか眠りについていました。
そして、目を覚ますとすっかり高山病が消えていました。
外から声が聞こえてきたのでテントから顔を出すと、フォルカとダワがアタックに出るところでした。
時計を見ると午前3時。
「もう行くの?」と聞くと
「先に行ってるよ!山頂で会おう!」と返事が返ってきました。
遅れること40分、モソモソとカロリーメイトを2本かじってから僕も暗闇の中へ出発しました。
僕の山頂アタック時の荷物ですが、ペラペラのナップサックにチョコバー3本とシュラフカバーと予備の手袋だけ。あとは内ポケットにコーラの空ペットボトルに入れた水とコンパクトカメラ、そして右手にピッケル一本。
下山してから聞いたのですが、僕が出発する姿を見た他の隊の人たちが、「日本人がピッケル片手に何も持たずに一人で出発したぞ!アイツ死ぬぞ!」と話題になってたそうです(;´д`)
この日の予定は登頂まで6時間下山3時間くらいを予定していたので、装備が貧弱すぎると思われるかもしれませんが、高所では装備を切り詰めたlight&fastの方が安全だと思ったし、それくらい装備が貧弱なほうがダメだと思った瞬間に迷うことなく下山の判断が下せると思いました。
それにケガや高山病で動けなくなった場合、高所で単独行なんだから救助が来る前にどうせ死ぬだろうし、生き延びるための荷物を増やしても意味がないとの考えもありました。
殺人的な風に何度も吹き飛ばされながらヘッドランプの明かりだけを頼りに登り続けました。
6000mを超えたあたりでフォルカ隊に追いつきました。
フォルカはとても息が苦しそうでした。
フォルカ隊を追い抜くと、僕の前には暗闇と叩きつけてくる雪だけの世界となりました。
孤独、不安、恐怖。
それらを感じてようやく、「今、ヒマラヤを一人で登ってるんだ」という喜びが感じられました。
時々、風雪の隙間に星空が見えました。
時にはオリオンを、時にはシリウスを目標に登り続けました。
薄い酸素にあえぎ、「一歩、一歩」と声を出して自分を励ましながらながら登り続けました。
何度か諦めそうになったけど、応援してくれたみんなを思い出しながら「一歩、一歩」と声を出し続けました。
東の空が少しずつ明るくなり壮大な景色が広がり始めました。
ずっと見たいと思っていたマカルーはテッペンだけ雲の中でしたが、テッペンが見えない分、より高さを感じました。
ようやく頂上ドームが近付いてきました。
コーテの村でダワに話を聞いたとき
「今のメラピークはダブルアックスとザイルが絶対にいる。数年前まで使っていた簡単なルートはクレバスが開いて使えなくなったんだ。」
と、言っていたのですがここから見る限りはハナクソをほじりながらでも登れそうに見えます。
ちなみに写真左手のドーム状の山頂がメラピーク中央峰です。
しかし、頂上ドームに近付いてみると・・・。
(;´д`)
垂壁があります。
垂壁ってます。
壁、垂直ってます。
こりゃダブルアックスいるわ・・・。
って、オレ、ピッケル一本しかないし・・・。
「うーむ。」
と、壁を見ながらうなっているとフランス隊が追いついてきました。
フランス隊のガイドはダブルアックスとザイルを装備し登る準備を整えました。
そして、
「そこの日本人。ビレイしてくれ。」
と僕に依頼してきました。
どうして自分の隊の人にビレイを依頼しないんだろうと思いながらも、「いいよ」と答えると、
「オレの客は素人なんだ。ビレイできるヤツがいない。オマエは一人で登るくらいだからソコソコ技術はあるんだろ?」
「僕も素人だけどビレイはできるよ」
と答え、ピッケルを打ち込んでビレイの準備をしました。
そして、ガイドは時々祈りの言葉を上げながらダブルアックスで登っていきました。
そのあと、フランス人2人がザイルに引っ張り上げられながら登っていきました。
お客を引っ張りあげた後、ガイドが
「このロープを使って登ってこいよ。」
と、上から言ってくれたのですが
「ありがとう。でも単独で登りたいから別のルートを探すよ」
と、答え単独でピッケル一本でも登れそうなルートを探しに行きました。
一時間ほどウロウロしたのですが、三流登山者の僕がピッケル一本で登れそうなルートなんてありません。
「しょうがないなぁ。さっきフランス隊が登ったルートから登るか・・・。だけど、あのルート、コーテ側に落ちたら3000m真っ逆さまなんだよな・・・。」
と、躊躇していると遠くから「ケーン!」と僕を呼ぶ声が聞こえました。
振り返るとフォルカとダワが手を振っていました。
ダワに、「あのルート以外のルートはないの?」と聞くと
「今はあのルートしかないよ。でも俺たちのザイルを使えばいいよ」
「でも、ザイルで引っ張りあげられて登頂するのはイヤなんだよ」
「じゃあ、ザイルを固定しておくからそれを使って自分で登っておいでよ」
「うーん、そうだね。僕の技術で登るにはそうするしかないよね。」
「そうと決まったら一緒に行こう!」とフォルカも笑顔で賛成してくれました。
ダワがトップで登り、その後フォルカが何度も息を切らしながら垂壁部分を超え最後の斜面にかかりました。
そして、ダワが張ってくれたザイルを頼りに僕が続きました。
登りながら
「これだったらソロでも登れたかもな」
とも思ったのですが、下から見た時にそれを見抜けなかったのが今の僕の実力なんだなと思いました。
でも、ソロで登るにしてもノーザイルで登る勇気はなかったと思います。
登り切った時、本当に息が出来ませんでした。
例えるなら、スクワットを500回やった後に全力で400m走り、ゴール直後に頭にビニール袋をかぶせられたような感じです(;´д`)
ハァーハァーといってるんだけど、空気が薄すぎてまるで口をふさがれたような感じでした。
この標高よりもっと高い場所でクライミングをする山野井さんのスゴさを身体で感じました。
そして、出発前に職場の柴咲コウ似美女から託された日の丸を山頂で掲げました( ̄ー+ ̄)
山頂は時々吹く突風に気持ちがホッとすることはなかったけど、憧れ続けたヒマラヤに感動の気持ちを抑えることは出来ませんでした。
そして、フォルカとダワと抱き合い、写真を取り合いました。
北側のエベレストもマカルーも山頂は雲に隠れていましたが、東側の遠くにはカンチェンジュンガが黒々とそびえていました。南側はインドまで続くような大雲海が続いていました。
そして、宇宙を感じられる濃紺の空が僕を包み、夢の向こう側の世界をほんの少し見せてくれました。
山を降りた翌日からまた空が荒れました。
その悪天候は3日間続きました。
もし計画が前後に1日でもズレていたら、きっと僕は登頂できなかったと思います。
そして、その3日間僕自身の心も晴れませんでした。
僕は単独でヒマラヤの6000m峰に登ることを目標に計画を立てました。
計画の成功ばかりを考え、初のヒマラヤチャレンジの僕でも確実に登れそうなメラピークを選びました。
登った後にその山の選択が間違っていたような気がしました。
メラピークはあまりにも簡単すぎました。
メラピークも登頂率は50%程度なのだから、ある程度の技術や体力も必要だとは思います。
だけど、この山の登頂に必要なのは、技術や体力よりも「運」という感じがしました。
僕が登った他の山と比較するなら、阿弥陀岳南稜よりも簡単でした。今年の春に登った踏み抜き地獄だった燕岳よりも楽でした。
もちろん、空気の薄さといった日本の山にはない難しさや怖さはありましたが、僕が登った11月のメラピークより2月の北アルプスの方が確実にハードだと思います。
そして、僕の心を一番曇らせたのは、その程度の山と自分で思っているくせに、最後の最後でフォルカ隊の固定ロープを使ったことです。
「他の隊のザイルに触れたんじゃ単独とは言えない」と、僕は僕を責めました。
そう思うと、フォルカ隊にゴハンをご馳走になったことも、ミルクティーをもらったことも、他人のトレースを探したことも、すべて納得がいかず自分を許すことができなくなりました。
そこまで「思い詰めなくても」と思われるかもしれないけど、”初ヒマラヤ”という人生に一度しかない機会、フリークライミングでいうなら「オンサイト」という一度だけのチャンスを完全単独でやりたかったんです。
日本の山を登る時は、鎖場の鎖を握っても、整備された登山道から登っても、一人で登れば「単独行」と思えるけど、この初のヒマラヤ単独行はすべて自分の力だけで登りたかったんです。
そんな、いびつな思いに心が沈んでいたのだけど、帰りのキャラバン中にカメラに入っていたこの動画を見つけた瞬間に僕の心は晴れました。
僕の声は興奮気味に弾み本当に嬉しそうでした。
そして親友といえるフォルカとダワが映像の中で笑っていました。
この登山はこれでよかったんだ。
「すべてOKだ」と思えました。
独学、しかも単独でヒマラヤに登るのが僕の夢であり目標でした。
この山はそんな僕の登山スタイルの卒業試験として考えていました。
ここを単独で登ることができたら、僕は独学&単独の世界から足を洗い山岳会に入ることを考えていました。
そして、この山をフォルカやダワ、他の多くの人に助けられ登頂することができました。
100%単独だったとは言えないけど、「助け合って困難に挑む」という山岳会が教えるモノのうちの大切なひとつを僕はヒマラヤで学んだような気がします。
だから、卒業試験としては合格なんだと思っています。
そして、山岳会に入ればもっと多くの事を学べるんだと思います。
だけど、やっぱりもう少し今の独学ソロのスタイルで登ります。
目に見える困難だけじゃなく、心の困難を乗り越える事も僕のアルピニズムのひとつだから・・・。
さあ、また次の高みを目指そう。
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