alone in the mountain
Childhood's End(高見山)

   2010/1/24
   メンバー ぐり〜ん A子
   天候 晴れ
   山域 台高山地(奈良・三重県)

行程

1/24
林道崩壊地前 →小峠→高見山→小峠→林道崩壊地前



 
 「愛や恋に永遠はない。」


 それが僕の口癖だった。


 どんなに愛や恋を口にしても、色鮮やかだった愛も恋も時間とともに色は薄れそして透明になっていく。もしくは、ある日突然汚らわしい色に変わり大切な人を傷つける。

 心を失うほどに傷付けあった2年前の恋から、僕は何度も恋に落ちながらも、もう恋人はいらないと思うようになっていた。



 そうやって心を閉ざした僕にA子は、僕の閉ざした心ごと抱きしめるようにこう言ってくれた。



 「愛に永遠があることを私が証明するよ。私を信じて。」








 A子は柴咲コウに似た美しい女性だった。

 僕とA子は7年前に職場で出会った。

 数百人が働くその職場でも、ちょっと有名な美人だった。



 A子に初めて会った日に僕はその美しさに目を奪われたが、A子が僕の先輩の彼女であることを知っていた僕に恋心は生まれなかった。


 A子の彼氏はとても仕事の出来る人で、職場のみんなから慕われ尊敬されていた。

 僕もA子の彼氏を尊敬し敬う一人だった。


 二人は9年も付き合っていたのになかなか結婚しようとはしなかった。

 そんな二人を見て、僕は二人が一日も早く結婚できるよう心から応援していた。






 僕はヒマラヤへ行くためにその職場を退職することにした。



 そして、僕の送別会の日に、A子は僕のことを好きになり僕に愛を告げるために3ヶ月前に先輩と別れたと告白した。


 A子に愛の告白をされた事は嬉しかった。


 美しいA子と付き合っていた先輩の事を羨ましく思ったことは何度もあった。

 だけど、僕はA子の告白に「付き合おう」と即答は出来なかった。


 僕は10日後にネパールへ旅立つ。

 そんな状態で恋愛はできない。


 そして、たとえA子が別れたと言っても、A子と付き合うということは先輩を裏切ることになるのではないかと僕には思えた。


 僕はA子に、「今は付き合えない。ヒマラヤから帰ってきたらちゃんと答えを出す」と答えた。




 

 そして、ヒマラヤ出発直前になってもうひとつA子の愛に飛び込めない理由が生まれた。


  山友達のK子からも告白されたのだ。

 A子と付き合うにはK子と縁を切らなければならない、K子と付き合うにはA子と縁を切らなければならない。

 僕はどちらも選べなかった。

 そして、僕はどちらも選ばずにヒマラヤへ旅立った。







 ヒマラヤから帰って来た時に僕の心にはひとつの答えが生まれていた。

 「誰とも付き合わない。」 と。



 2年前の恋で僕の心はボロボロになった。

 裏切りとフェイクだらけの恋愛に僕の心はズタズタになった。

 その日々を思い出すともう恋をしたいとは思えなくなっていた。



 僕はA子にもK子にも「付き合えない」と答えた。


 だけど、二人ともその答えを聞いても僕を愛してくれた。







 「もう誰も信じられないんだ。どうせ愛や恋に永遠はないんだ。」

 そういう僕にA子は

 「じゃあ、私が愛に永遠があることを証明してあげるよ。永遠に愛し続けるよ」

 と、いつも言ってくれた。


 いかに僕のことが好きか、もし付き合えたらこんな事がしたい、結婚できるのならこんな生活がしたい、時には笑顔で、時には泣きながら彼女の未来予想図を語ってくれた。

  そんなA子に僕の心も少しずつ惹かれていった。



 A子と遊ぶのは楽しかった。

 先輩と付き合っていた頃は街でばかり遊んでいたそうだが、僕はいつもA子を外へ連れ出した。海や山や雪のある場所にA子を連れ出した。



 A子は、いつも子供のようにはしゃぎまわった。



 学生時代にワンゲル部に入っていたらしいが、雪山に登った事はなかった。そんなA子に霧氷を見せようと高見山に誘った。


 高見山の霧氷はとても美しく、そしてA子はそれ以上に美しかった。


 普通の女性であるA子と付き合うということは、もしかすると僕は僕の夢のいくつかを諦めなければならないかもしれないけれど、それを諦めてでもA子との生活は楽しいものになるかもしれないと僕は思うようになってきた。


 



 A子と付き合うためには、山友達のK子と絶縁しなければならないと僕は思っていた。

 それが、恋愛をする上でのルールだと僕は思っていた。



 だけど、僕の無茶苦茶な夢やデタラメな未来を心から応援してくれるK子を切る事はできなかった。

 そして、心を許せる人としか山に登れない僕にとって、K子は心を許せる数少ない、いや唯一のザイルパートナーだった。

 そんな山友達を切る事は僕には出来なかった。








 そんなふうに煮え切らない僕なのにA子は僕を愛し続けてくれた。




 そして、いつしか僕はA子の愛を重く感じるようになってしまった。




  一日に何通もメールをくれるのに僕はほとんど返事をしなくなった。

 週末に遊ぼうと誘われてもいろいろ理由をつけて断るようになった。


 実際に去年の年末から、知人の遭難死や、母親の脚の骨折、祖母の余命宣告など、僕のまわりが慌しくなったのは事実だ。



 だけど、A子に対して冷たくなったのはそれだけが理由ではなかった。

 僕はA子の愛をまっすぐに受け止めることが出来なくなっていた。

 そして、山友達のK子を切る事も出来なかった。







 毎日何通も来ていたA子からのメールが途絶えた。

 なにかあったのだろうかと心配した僕はA子に電話をかけた。

 だけど、A子は電話にでなかった。

 そして一通のメールが届いた。





 「愛に永遠があることを見せてあげられなくてごめんなさい」










 僕は卑怯者だ。


 僕とA子は離ればなれになるしかないと分かっていたのに、A子にサヨナラを言えなかった。

 そして、A子からサヨナラを言うように空気を作っていった。



 最低な人間だ。

 クズだ。



 そして、そんな資格はないのに、A子がいなくなった事に僕は今寂しさを感じている。


 身勝手過ぎるロクデナシだ。



 自分自身にどんな罵声を浴びせても浴びせたりない。

 どんな言葉でも僕を蔑むには足りない。


 生きる価値もないのに死ぬ勇気もない。


 人を愛する資格も、愛される資格もない。


 この罪を背負って生きろ。

 そして罪を背負って死ね。





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